第12回 宮城を選んだ先輩~伊藤仟佐子さん編・前編~

NPO法人エムケイベース代表であるさいとう愛がお届けするコーナー。題して、「宮城を選んだ人」
仙台を中心として宮城で出会った「宮城を選んだ人」や「宮城を好きな人」を紹介しながら、宮城の魅力を探訪しているコーナーなのですが…
今回は、ご家族の転勤で宮城に来たことをきっかけに仙台の子育て支援をリードし続けてきた大先輩であり、今なお第一線で子育て支援を牽引しているスーパーウーマン、伊藤仟佐子さん(NPO法人せんだいファミリーサポート・ネットワーク代表)に登場していただきます。

 

感銘を受けたから、行動を起こす。簡単そうで、なかなかできないこと。

突然ですが、『子連れママの気晴らしマップ』をご存知の方はいますか?

1985年から一年に一回発行されていた仙台の子育て情報をギュギュっと詰めた冊子で、30号まで発行されました。
私たちの親世代が子育てをしている時に読んでいたかもしれませんね。
仙台で子育てをする人が、「これ1冊あればOK!」という内容を目指して製作、販売されていた冊子なんです。

1985年に発行された『子連れママの気晴らしマップ』

ここで編集長としても活躍されていた伊藤さん。
この冊子を作っていた当時のことをたっぷり話してくださいました。

冊子を作るメンバーは入れ替わりがあるんだけど、だいたい毎年十数人が関わっていましたね。
半分が地元仙台の人、半分が転勤族といった感じでね。地元の人は表に立つのを嫌がって、裏方を好みました。
それは“嫁”だから(笑)。
80年~90年代はまだ「家庭の用事以外で、子どもを連れて出かける」という風潮はなかったんです。
だからね「あそこのお嫁さん、しょっちゅう出かけるけど、何してるのかしら?」と言われちゃうの。
それを避けるためにね、裏方を選んでいたんですよ。

私がこの冊子に本屋さんで出会ったのは第6号。夫の転勤で仙台にやってきた時だったのよね。娘が2歳半で。
石川県の能登半島出身で知り合いも友達もいない状況で、この本に助けられ、連絡先が載っていたから早速連絡をとって第7号から参加しはじめたんですよ。

伊藤さんがはじめたのではなく、伊藤さん自身がこの雑誌に助けられて、作る側になったとは!!!
その行動力が素晴らしい上に、この雑誌を作り始めた人の想いも素晴らしいと思いました。

日本で初めての地域密着型子育て情報誌『子連れママの気晴らしマップ』第1号(1985年)の表紙をめくると、こんなことが書いてありました。

「はじめに」が書いてあります。

 

はじめに
赤ちゃんを抱いた若い母親の姿は、本当に幸せそうです。
でも実際、この立場になってみると、これがなかなか大変。育児は、年中無休の相手まかせの24時間営業です。
新米ママには、いつも育児の不安がつきまといます。
その上、自由に使える時間がないし、自分自身の事を考える余裕がありません。
~中略~
子育て中の主婦には、自分のための時間や、社会生活が必要ではないのでしょうか。「育児期は大切だから家にいる」のではなく、大切だからこそ、人との関わりの中で母親自身も成長して、子どもを育てていくべきだと私たちは考えました。
この視点から、子ども連れで出かけられる施設、講座、グループなどを調べてみました。
~中略~
この小冊子が、皆さんの気晴らしのみならず、今の生活を見直すきっかけになれば幸いです。

令和になった今も、昭和のあの頃も、母親と子育てにまつわる話の本質は変わっていないような気がするのは、私だけでしょうか。皆さんは、どう思いますか?

伊藤さんに、この冊子についてさらに深掘りを続けました。

伊藤さんが関わった号

 

「子連れママの気晴らしマップ」は年1回の発行で、ほぼ完売。1冊500円で売って、12,000冊印刷して売り切りでした。有難いことに年々知名度があがっていき、影響も大きくなり、途中からは広告も取れるようになってきて。
広告は、メンバーがお金を直接預かって、手書きで領収書を書いてお渡しするの。
まさに手探り、手作りでの冊子作りでしょ?

メンバー十数人いると、得意なことや才能がほんと様々なんです。
たとえば、冊子の表紙は、途中からメンバーの1人にイラストをお願いしました。でもね、彼女、最初は断ったんですよ。「私のなんかより、プロに依頼したほうがいい」って。
プロよりもあなたの絵のほうが良いって伝えてるのに、信じてくれなくて(笑)口説き落した感じね(笑)
最終的には描いてくれました!

お母さん一人一人得意なことが違って、それをなぜかご自身だけが気づいてない。すごくもったいないと思っていたわね~。

冊子を作るために週1回の編集会議をするんだけど、市民センターなどの公共の場所すら「うるさい」「部屋を汚す」と言われて、当時、子どもはあまり歓迎されていなかったわね。
部屋で飲食不可だったから、お昼にいったん休憩を取るために外に出て食べて、また会議を続けるって感じ。
すごく手間がかかっていたの。

別室で託児をお願いするときもあったけど、託児にお金がかかることよりも、預かってくれる方に気を遣うのが大変でした。少しでも延長することになるとね、延長料金はお支払いしているのに、「子どもを預けてまで何をしているんだ」とお叱りを受けたこともあったね。

子育てはお母さんがするのが当たり前という文化が本当に根強かった頃なのよね。

計り知れない苦労を乗り越えてきた伊藤さんたち。苦労の数だけ認知度が上がっていくと同時に、仙台市の信頼を少しずつ得るようになった頃、全国で子育て支援広場が広まっていき、仙台でもはじまるという構想が聞こえてきたと言います。

 

子育てに安心感を与える、大きな一歩へ

2002年仙台市で子どもセンター(現在の「のびすく」)設置の構想があることを知り、他の団体と一緒に「子ども家庭支援センターを考える会」を開催したんです。お母さん方から意見を集めてまとめて、仙台市に提言を行いました。

例えば、編集会議で子どもの食事に苦労したことから「子どもセンターは飲食OKにして欲しい」「理由を問わずにフラットに預かって欲しい」といった内容ね。

仙台市からは「一時預かりに預けるお母さんはいるのか?利用者がいないかもしれないのに本当に必要か?」と難色を示されたんだけど、「預ける人はいないかもしれないけれど“自分がなにかあったときに預ける場所がある”という安心があるかどうかで、子育てに対する気持ちがまるで違う。」ときっぱりと回答したことを覚えているわよ。

ここで、一緒に取材していたメンバーが隣で泣き出しました。彼女も地元を離れての出産・育児、その後、仙台に引っ越してきて、その中で「頼る場所や人があるかないかで全く気持ちが異なる」ということを実感していたからなんだそうです。
思わず溢れてくる彼女の涙を見て、伊藤さんもうるうると目に涙を浮かべていました。

取材後、涙を流したメンバーにその理由を深く聞いてみたら、彼女はこう言いました。

「もう10年も前の話になるけど、そのときの不安はまだ生々しく残っているんだよね。そしてさっき目の前にいた伊藤さんも、時代は違っても同じ体験をしているんだと思ったの。時代が変わっても母親が考えることは同じで、おそらく今の、そしてこれから“お母さん”になる女性も同じことを感じるんじゃないかって思ったら、思い出と共に泣けてきちゃった。」

母親と子育ての本質は、時代を経ても変わらないってこと。

伊藤さんと話しながら感じていた想いが、彼女の涙によって表に飛び出してくれたような気がしました。

前編はここまで。
後編では、のびすく立ち上げの話や、小学生の子をもつ私たちに子育てのアドバイスをしてくれた内容など、盛りだくさんでお届けします。

後編もお楽しみに。

(文:mamaBEonine!齋藤)

 

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