第九回 宮城を選んだ人~横田智史さん編~

mamaBEstyle!副代表のaiがお届けするコーナー。題して、「宮城を選んだ人」。仙台を中心として宮城で出会った「宮城を選んだ人」や「宮城を好きな人」を紹介しながら、宮城の魅力を探訪しています。

今回は、特別編!ペンギンインターナショナルスクールの園長であり、(株)ペンギンエデュケーションの代表取締役である、横田智史さんに登場していただきます。
智史先生は、福島県須賀川市出身。今でも福島に住みながら名取市にある園に出勤したり、全国各地での講演をしたり、忙しく動き回っている、元気印そのものの先生です。

園内では、「さとしせんせーーい!」と呼ぶ子どもたちの声が聞こえてきます。子どもたちは、時には甘えてみたり、「せんせい、見てみて!」と自慢してみたり。智史先生に対する「絶対的な安心感と信頼感」を肌で感じました。

どうして「教育」の道を選んだのか、どんな幼少期を過ごしていたのか、今でも大切にしていることは?など智史先生と対話をさせてもらいました。みなさんにも、そのあたたかなストーリーをお届けします。

 

知らない世界が、知りたい世界へと変わる

ママビースタイルを読む園長・智史先生

原点は、障がい児教育に携わったことにさかのぼります。

サッカー大好きなサッカー少年として育った智史先生は、体育教師として子どもたちにサッカーを教えることを夢見て教員免許を取得しました。

最初の配属先が、障害がある子どもたちが通う学校で。正直、何も知らずにわからずにその子たちと関わることが始まったんです。はじめて出会った世界でした。

描いていた教員生活とは違ったはじまり。「教育」と一言でまとめても、その道は多岐にわたり、必要とされる知識やスキルも異なります。

重度の障害を抱えた子もいるところでした。その子たちとの日常を重ねていく中で、もっと彼らのことを知りたいと思うようになったんです。本屋さんに行って、「障がい」や「発達障がい」などの言葉がある本はとりあえず買って。家に帰ったら、その本を読み漁っていました。時間を見つけては学び、養護学校教諭の免許を取ったんです。

福島県ではじめて、障がいのある子たちがプレーする「サッカー部」も創設。部活としては、福島県内初だったそうです。

彼らに出会ったことで、「教育の幅」がぐっと広がったんです。

 

きみのこと見ているよ、は親じゃなくても伝わる

障がい児教育で、「教育の幅」を広げ「教育の原点」を学んだ智史先生は、その世界を出て、学習塾の塾長へと転身します。

昔風に言うと、「THEヤンキー」が通う学区の中での塾を任されていました。
26歳の時でしたね~。ドラマで流行した、GTOの世界でしたよ、まさに。

「朝のあいさつ運動、一緒にやろうぜ」と生徒に言われたら、一緒にその子たちと早朝から学校の門に立ってあいさつをする。
いわゆる非行をしてしまう生徒がいたら、ぼくが呼ばれて一緒に謝りにいく。
テストの点数をあげることももちろん求められるけれど、まずは、「人として」という部分を育てることなんです。

若かったこともあって、先生というより、兄貴的存在だったのかもしれません。その子たちの間で「よこた」が有名になって、生徒数はみるみるうちに増えましたよ。でも、成績優秀な子は来ませんでしたけどね(笑)

学習より前に、「人として」の根っこを伝え続けた智史先生。一方、親御さんからは「高校に入れるようにしてほしい」という要望ももちろんあったからこそ、子どもたちには「塾の使い方」を教えたと言います。

地域柄ということもありましたが、親御さんは必死に働いたお金を子どもに託すわけです。とにかく高校には入ってほしい、と願ってるんですよ。だから、子どもにはその子に合わせた形で「塾をどう使いこなすか」「自習室をどう使うか」を伝えていくわけです。

この記事を書いている私も教育に携わる端くれですが、智史先生の「教育」への想い、「子ども」や「親御さん」への熱い想いには感動することばかり。

「ぼくはきみのこと見てるから」

大人のひたむきな姿勢は、子どもに伝わる。
「ぼく」を見てくれているとわかっているから、叱ってくれることも、褒めてくれることも、丸ごと伝わっていくんだと確信しました。

 

親からのリーダー教育が、基礎となる

ペンギンインターナショナルスクールの様子

話を聞いていくうちに、「智史先生はどんな子どもだったんだろう?」ということが気になりました。

小さいころから「リーダーでありなさい」と言われて育ってきましたよ。いわゆる「長」がつくものはやるし、目立つこと大好きだし、自分がまとめ役でないと嫌だと思っていました。
背が一番小さかったこともあって、並ぶときはいつも先頭なんですよ。
それが悔しかったりもして。とにかく負けず嫌いだから、自分のポジションをゲットすることに燃えていました。

小学生の時の話、”近所のりんごを盗む”という計画を立てた智史くん。
見張り役、実際にりんごを取ってくる役などの指示を行い、計画を実行にうつしました。

翌日には、バレて謝ることになるんですけど。首謀は誰だ?となって、「俺です!」と堂々と言うわけです。
学級委員とかもやってるのに、「さとしは、真面目なの?不真面目なの?どっちなの?」と言われてましたね(笑)

悪いことも、良いことも、全力で。
「バレるかな~、バレないかな~」と思うスリル満点の体験の後には、「ごめんなさい」と謝れること。
経験を重ねていくことで、わかることがある。これが、大人になっていくということなのだと思います。

では、智史先生の親御さんは一体どんな関わりをしていたのでしょうか?

 

おかあだったら何て言うだろう?

澄んだ青空に園舎が映える

 

おそらく2歳頃から、「さとしはリーダーだもんね~」「リーダーだったらどうするかな?」と母親から声をかけられて育ってきました。
兄貴がいるんですが、性格が違う兄貴にはそんなことは言っていなかったと思います。
おかあは、それぞれの性格や特性に合わせて「声かけ」をしていたんだと思うんです。

「親の声かけ」は、刷り込みにつながります。子どもは環境によって育てられるんですからね。

おかあは、ぼくが大学生の頃に突然亡くなってしまったんですね。ぼくには息子がいますが、おかあがばあちゃんの立場になった時に、孫にはどんな言葉をかけるだろう?と考えることもあるし、その姿を見たかったと思うこともあります。

おかあは、ぼくの行動に対して「なんで?」とか「その時どう思った?」という問いかけをよくしてくれていたんです。
今でも、「おかあだったら何て言うかな?」ということはよぎります。
親の言葉、特に母親の言葉ってこんな大人になっても、ずっと生き残るもんなんです。

今みたいに、子育てのメソッドがあふれた時代ではありません。お母さんが自然としていた子どもとの関わりが、智史先生のゆるがない土台になっています。

またじっくり話しましょう!

子どもたちだけでなく、大人にとってもそうですが、「自分が自分のリーダー」であることは大切です。
子どもの頃から身に着けておく必要があるとも思っています。
自分自身で自分をマネジメントする、「セルフマネジメント」の大事さは伝えていきたいです。
そして、「教える」を通して、子どもたちの「土台」を作っていくことは大事だと思っています。
まずは、「人として」という部分の基礎がある上に、自分があるということです。


「はじめまして」から始まった智史先生との対話。オリジナルの教育理念を掲げて、地域と共に、子どもたちを育み続ける場所を作る智史先生。出会えてよかったと心から思いました。

「卒園しても帰れる場所を作ってくれて、子どもたちの頑張りを応援してくださる先生がいる、それがペンギンです」

智史先生の元を巣立っていったお子さんのママから寄せられたメッセージ。ここにすべてが凝縮されています。

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