震災を経験したママの話を未来へつなぐvol.3

3月1日に開催した細谷さんによる「大切ないのちと財産の守り方」講座を元にして、mamaBEstyle!メンバーの学び合いを毎月2回公開しています。

今回は、「震災を経験したママの話を未来へつなぐ」の3回目をお届け。

 

家庭での防災力向上の大切さを感じているのに、実感がわきにくく行動に移しにくいという悩みを抱いていました。

そこで…この悩みを解決し「我が家の防災力」を確実に高めていくために、ある人々の力を借りることにしたのです。

・東日本大震災を経験したママたちの声を集めてみよう

・その一つひとつの経験を未来へつなげていこう

10年前のあの日、仙台市内で子育てをしていたママたちの経験を少しずつ、ていねいに集めています。

どこに住んでいたか、また子どもの月齢・年齢によって大変だったことは違うし、苦労の大小はあるかもしれません。けれど、大きな困難を乗り切ったママたちの力は、この街の確かな記録です。

忘れてしまいそうなあの時の記憶、忘れてしまいたいあの時の記憶を、ママたちは届けてくれました。

 

自分の経験が誰かの役に立つのなら…

 

ママたち全員の共通の願いを、ぜひ受け取ってください。

 

気が動転、不安な時間を過ごす3.11

3児のママであるCママは、当時4歳の長女と1歳半の長男を抱えて被災しました。

当時、備蓄を意識していなくて、いろいろ困ったことがあったんだよね。

こうして話を切り出してくれたCママ、困ったこととは一体どんなことだったのでしょうか?

 

水道復旧までに想像以上に日にちがかかっていて、とにかく水が足りなかったの。避難所や給水所に水をもらいに行ってたんだけど、同じマンションに住む人はトイレを流すための水を近くの川にくみに行ったりしていたよ。

それと、ガス給湯器だったから、水道復旧してもお風呂に入れなくてね。鍋でお湯を沸かして、子どもたちを小さな衣装ケースに入れてお風呂に入れていたんだよね。うちの子、元々肌が弱くてオムツかぶれしやすかったからそこのケアも大変だったな。

”オムツかぶれ”に関する話は他のママからもありました。毎日洗ってあげたいのにできない、お風呂に入れてあげたいのに難しい…。だけど、できないことを嘆くのではなく、今の状況で出来ることに知恵をしぼり奮闘するママの姿が浮かんできます。

 

割れたお皿やガラスの片づけも大変だった

 

震災当日は、割れたお皿やガラスの片づけもままならなかったと言います。

 

突然おそってきた地震で、気が動転するし、不安だし…。さらに暗いし、寒くて。カセットコンロを出して料理をする気にもなれなかったのを覚えているな。

 

想定外のことが起きるから、「日頃の備え」が大事

オムツが足りなくて、お店の行列に何時間も並んだ

 

電気使えなくて、携帯の充電もできなかったんだよね。だから、後々の話だけど、実家も一緒に「発電機」を買ったよ。あとは、オムツのストック足りずに何時間も並んで買ったりもしてたな。冷凍ごはんは必ず常備していたんだけど、いざという時にすぐ食べられないことにも気づいて。そのまま食べられる缶詰、レトルト食品とかをもっと備えておけばよかったな。

今だからこそ冷静に振り返ることができる「こうしておけばよかった」というCママの経験は、いつ起きてもおかしくない地震や災害に向けての貴重な教訓となりました。

 

子どものための遊び道具はあるといい

次に話を聞かせてくれたのは、2児のママであるAママです。3月がお誕生日だという長女がちょうど4歳になりたての時に、被災しました。

子どもの心が安らぐアイテムを

 

震災からもう10年が経つんだね。実はね、小さい頃から地震の話を聞かされていたこともあって、防災の準備は意外としていたんだ。私が生まれた年に大きい地震があったから、なんだよね。

こう教えてくれたAママですが、その大きい地震とは、昭和53年6月に起きた「1978年宮城県沖地震」を指しています。

昭和53年(1978年)6月12日17時14分、仙台市をはじめとした東北地方をマグニチュード7.4(震度5)の地震が襲いました。

この地震で亡くなられた方は、28人。うち18人は倒壊したブロック塀や石塀などの下敷きとなり死亡した”圧死”でした。負傷者は1万人を超えたと言われています。

ガス、水道、電気のライフラインが寸断し、都市機能がまひ。当時人口約65万人だった仙台市民の生活は混乱し、全国初の都市型災害と言われています。新興住宅や高層マンションにも大きな被害が及んだのは、当時の建物の”耐震基準”の甘さの影響でした。この地震を契機に、国は耐震基準を見直し、「新耐震基準」が整備されました。

6月12日は、「みやぎ県民防災の日」と制定されています。

【参考HP】 1978年宮城県沖地震|仙台市 (city.sendai.jp)

紙面で振り返る宮城県沖地震  12日は「みやぎ県民防災の日」 | 河北新報オンラインニュース / ONLINE NEWS (kahoku.news)

「せん断破壊」の脅威、心に刻む 仙台の建築士振り返る 宮城県沖地震43年 | 河北新報オンラインニュース / ONLINE NEWS (kahoku.news)

 

例えば、避難所でも使えるように、音の出ないおもちゃ、お絵かき用色鉛筆、折り紙も備えていたよ。チョコレートやちょっとしたお菓子もあると絶対いいよ。

ボタン電池や単4電池のストックがなかったのは困ったな。子ども用のおもちゃって、この2種類の電池使うこと多いでしょ。もっと備えておけばよかったと思ったよ。

 

うちの子はもう大丈夫だったけど、オムツの子たちは大変そうだったな。ギリギリまで交換せずに、パンパンになるまで履かせていたりね。というのも、オムツとおしりふきはなかなか手に入らなかったから。オムツに生理用ナプキンをつけて、ナプキンだけ取り替えたりして。みんななんとか工夫していたんだよね。

「その日その日が精一杯だったけど、協力しながら、工夫しながら乗り切っていけたんだ」と締めくくってくれたAママ。ママをはじめとした大人たちの「なんとか頑張ろう、乗り切ろう」という気合と踏ん張りが目に浮かんでくるようでした。


3回目をお届けてしているママたちの経験談、いかがでしたか?

 

あの日起こったことは同じだとしても、ママたちの経験は一つとして同じものはありません。

 

できないことを嘆いたり、ないものねだりをするのではく、「今ここにあること、今ここにあるもの」からできることを作り出していく力や知恵は、まさに”人間の底力”が発揮される時なのかもしれません。「もうあの日から10年も経つんだね」と言ったママの言葉が、じんわりと響くインタビューとなりました。

 

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