東日本大震災から11年目を迎えます。
想定をはるかに超えた自然災害を前にして、人間の無力さを思い知らされたような気がしたあの日からもう11年。
仙台市内では震災の爪痕を感じることは少ないですが、沿岸部に行くと防潮堤をつくる工事がいまだ終わっていないところも多くあります。
街の景色はずいぶん変わっているのです。
2021年、私たちは、「我が家の防災力」と題し、記事を書いてきました。
震災を経験したママたちの話を未来へつなげていったり、防災や減災を見直す方法を紹介したり…
防災のプロフェッショナルではないからこそ、経験談を聞き、知識を得て、自分の家族にあった「防災力」を高めていきたいと考えたからです。
数字が語る、あの日のこと
宮城県の地方紙である河北新報の一面の右端には、毎日載っています。
10年を超えても行方不明のままの方がいることを毎日思い知らされ、時が経っても、この数字の重みは色あせることはないと再確認します。
また河北新報には、「震災関連」の記事が毎日のように掲載されているため、「あの日を忘れないでいる」ことへつながっていますが、新聞を読まない層が増えている子育て世代の方々にとっては、「震災を知る機会」が減り、「震災や防災について考える機会」がない可能性もあります。
私たちにできることを、少しずつ
私たちにできることは、母親目線、子ども目線で「知る機会」を少しでも増やしていくことであったり、一緒に「考える機会」をつくっていくことではないかと考えています。
今年も、折を見て、「東日本大震災のこと」「防災について」の学びを深めていきたいと考えています。
お付き合いいただけると嬉しいです。
そして、3月11日14時46分、一緒に手を合わせていただけることを願っています。