3月1日に開催した細谷さんによる「大切ないのちと財産の守り方」講座を元にして、mamaBEstyle!メンバーの学び合いを毎月2回公開しています。
今回は、「震災を経験したママの話を未来へつなぐ」の4回目をお届け。
家庭での防災力向上の大切さを感じているのに、実感がわきにくく行動に移しにくいという悩みを抱いていました。
そこで…この悩みを解決し「我が家の防災力」を確実に高めていくために、ある人々の力を借りることにしたのです。
・東日本大震災を経験したママたちの声を集めてみよう
・その一つひとつの経験を未来へつなげていこう
10年前のあの日、仙台市内で子育てをしていたママたちの経験を少しずつ、ていねいに集めています。
どこに住んでいたか、また子どもの月齢・年齢によって大変だったことは違うし、苦労の大小はあるかもしれません。けれど、大きな困難を乗り切ったママたちの力は、この街の確かな記録です。
忘れてしまいそうなあの時の記憶、忘れてしまいたいあの時の記憶を、ママたちは届けてくれました。
自分の経験が誰かの役に立つのなら…
ママたち全員の共通の願いを、ぜひ受け取ってください。
絶望感しかありませんでした
当時小学校3年生と、0歳児を抱えて被災したNママの話です。
子育ての真っ最中、まさかあんなに大きな地震がくるなんてね…子どもを育てていかなくちゃならないのに、絶望感しかありませんでした。
このように話を始めてくれたNママは、さらに語りました。
しばらくは食べるものも大変だったし、どうやって育てていけばいいのかと不安しかなかったと記憶していて。話すと長くなってきりがない位いろいろあったことを思い出すな。
当時はまだ畑、井戸、発電機、そしてプロパンガスを利用していたご主人の実家に避難していたというNママ。最低限の生活はできたから、恵まれていたのかもしれないと話してくれましたが、下の子のオムツや離乳食には困ったと言います。
生活はなんとかできていたんだけど、状況が少し落ち着いてきた頃から、長男はおねしょをする様になったんだよね。精神的ダメージがあったんだろうな、と思っています。
「人間は強いな」と思った
うちの実家は沿岸部で、たくさんの知り合いや親せきが亡くなったの。あの大川小学校も近かったんだよね。報道されている内容だけでなく、壮絶な話を聞く機会もあったり…。当時石巻で看護師していた友達の話を聞いても、涙ばかりだったよ。10年経っても、胸が痛みます。一言でいうのは難しいけど、「人間は強いな」ということは確かに感じることです。
私が旧大川小学校を訪れた3月、まだ工事の真っ最中でした。以前は足を踏み入れられた場所も立ち入ることができませんでしたが、当時の状況が書かれている案内を読みながら、小学生の長男がこう言いました。
「なんであの山に、あそこに見える山に、みんな逃げなかったの?」
児童・教職員合わせて84名の尊い命が失われた大川小学校のあの日。東日本大震災の記憶と教訓を伝える遺構として周辺整備を進めてきた大川小の被災校舎と展示施設が7月中旬に公開されます。
今は、あの時の教訓というのか、色んな場面で素早い対応ができるようになっているとは思っているの。つまり、物質的な面では急激に困ることはないのかもしれないってこと。ただ、「備えあれば」です。「備え」は大事だと思います。
さらに、我が家の場合は、キャンプをよく子どもとしていたので、ライフラインが途絶えても意外と受け入れてくれたってことはあったかもしれないから、日常に「心の備え」があるのはいいかもしれないですね。
「1か月分は用意すること」を忘れない
次に話を聞かせてくれたのは、現在3児のママであるNママです。長男が9カ月の時に被災しました。
虫の知らせだったのかな…たまたま2月に各サイズのオムツをなぜだか2パックずつ買っていたの。だからオムツに関して困ることなかったんだよね。息子は離乳食を始めたばっかりだったけど、数日は食料が手に入らなかったから、一度全部母乳に戻して、食料が手に入る頃になってから、離乳食を再開したかな。
一番大変だったのは、ミルクをあげていたママたちだったみたい。手に入らなくて、みんな必死だったんだよね。食料品は確か、震災3日後くらいにいち早くドン・キホーテが開いたの。あとは徐々にスーパーも再開していったけど、私は目に見えない”放射能”が子どもに影響するのが怖くて、1か月間家から出られなかったんだ。
震災の時は、たまたま実家に寄ってて、電気も水も確か1日で復活したこともあってすごく困ることはなかったんだけど、地域によっては、1か月近くライフラインが復旧しなくて、給水車に何時間も並んでいたし、不自由なくガソリンをいれられるようになったのも 1か月近く経ってからだったな。
お菓子を含めて子どもが普段食べる食料は最低でも1週間分は用意しておかなきゃだと思っていて。トラウマなのかもしれないけど、今でも水や日持ちするコモパンみたいなにすぐ食べられるものは、常に1か月分は用意するように心がけているよ。
皆さんは、「コモパン」を知っていますか?「コモパン」は、パンを作る製法や生地がふつうのパンとは全く違い、鍵は、”パネトーネ種”と言われるイタリア北部で100年以上も前から伝統的に受け継がれている特別な酵母だそうです。
35日~2年という長期保存ができるコモパン。備蓄として重宝しそうですね。詳しくは下記「コモパン」ホームページでチェックしてください。
4回にわたってお届けしてきた、ママたちのあの日の経験と教訓やアドバイス。いかがでしたか?
想像しただけで胸が痛くなり、泣きながら書くこともありました。話を聞かせてくれたママたちの現在をみていると、たった10年前に壮絶な経験や多くの苦労をしていたとは思えないからです。
生きている、ただそれだけで十分なんだと思う
あるママがこう話してくれました。「生きていることの尊さ」を我が子と一緒に体感したママだからこその言葉。その瞬間は上手な返答が見つからなかったのですが、今は、強く感じています。
届けてくれた声や経験をていねいに拾い、伝えていくこと、そして次に活かしていくこと。
私たちの使命をこれからも様々な角度から全うし、伝えていきます。