明日で、東日本大震災から12年目を迎えます。
この時期は、ローカルテレビや新聞に震災に関連する話が多く流れるので、意識が自然に”震災があったこと”に向きます。
しかし、仙台の中心部を眺めると、あらゆるところでマンション開発が進んだり、長期間の道路工事が続いているところはありますが、”震災があった”ということを、普段の生活では感じる場面はほとんどありません。
もちろん同じ宮城県でも、場所を変えればあの日の名残りを感じるところはあり未だに胸が締め付けられる想いですが、”震災”を身近に感じる機会というのは、自分から意識を向けないと難しいと思います。
先日あるイベントで出会った大学生が、震災の時の話をしてくれたんです。
あの時、小学校2年生だったんです。沿岸部に住んでいて、学校にいたら震災が起きました。
タイミングがよかったのか、お母さんが発生直後すぐに学校に来てくれたことを覚えています。
結局、中学校が津波でダメになって、小学校にたくさんの人が押し寄せたんですが、家族みんなで避難していました。その日は食べるものがろくになくて、お腹減ってしまって眠れなかったんです。そうしたら、次の日、袋いっぱいのポップコーンを持ってきてくれた人がいたんですよ。誰だかわかんないんだけど。子どもたちでそのポップコーンを食べたことを覚えています。美味しかったことも今でも覚えています。
避難生活が長く続く中で、私はよく親に「つまんない」「だるい」とか文句ばかり言っていました。
遊びができなくて飽きちゃうんですよね。マンガ本を持ってきてくれた人はいたけど、すぐ読み終わっちゃうし…。
大人たちが何に困っているのか、どんな助けを必要としているかなんて子どもにしたらわかんないんです。
今思うと、大変な姿を見せまいと大人は大人で必死だったと思うんだけど、子どもだったからよくわかんなくて。
もっと頼ってくれてもいいのにな…と思う場面はあったような気がします。
私はこの話を聞いて、ハッとさせられました。
そうか、もっと頼っていいんだ…
年齢にはよりますが、小学生くらいになると力になってくれる場面は日常生活でも多いですよね。
大人としては、「子どもには苦しい思いや、我慢をさせたくない」などという想いで動きますが、子どもたちからしたら、「何があったか、話してよ!」「何かできることはない?」という想いがあるんだということなんです。
2021年は、あの時子育てをしていたママたちの経験を聞いて記事にしましたが、今年は、あの時子どもだった若者たちに、震災の話を聞いてみる機会を設けようと思いました。
同じ出来事でも視点が変われば、想いや感じ方が変わる…
後世に伝えていきたい大切なことがあるような気がしています。
最後になりますが、
いまだに見つからない行方不明者の方々も多くいます。
私たち一人ひとりができることは「3.11を忘れない」ということはもちろん、
いつか起きてしまうかもしれない災害への備えを怠らない、ということなのだと思います。
明日の14時46分、手をあわせて祈りましょう。
おすすめのコンテンツを紹介します。お子さんと一緒にやってみてください。
『3分でできる避難訓練シュミレーション』
https://www.sp-hinan.jp/pc/?cpt_n=line_share&cpt_m=sp&cpt_s=score